Vol.13 病気を受け入れる「重要性」
IBDは「指定難病」だ。「指定難病」ということは、国が治らないと認定したこと意味する。病気が生涯続くので、癌より辛いかもしれない(癌患者さん、比較してごめんなさい)人生で、受け入れがたいことだ。
私は、若い数年間、逃げ回っていた。西洋医学で否定されたのだから、漢方、健康療法、自然療法、新興宗教、占い、あらゆるものに頼ったが、効果はなく、病状を放置した分、クローン病は悪化してしまった。
「両親の想い」「心ある専門医との出会い」「患者会仲間」により、病気を受け入れ、病気と正面から立ち向かい、辛い治療法(当時の最新医療「エレンタールのみ」での生活)に挑み、ようやく長い寛解期(元気な時)を勝ち得た。
その時、大きなものを失っていたのに気づいた。若い時の時間である。この時期、本当なら、より学び、より遊び、恋愛も出来るこの「楽しい時期」に、「病気」に囚われてしまい、「治る」ことに全集中してしまった。「治らないのに」
しかし、病気を受け入れて、しっかり治療を行い、「寛解期(元気)」になり「楽しい時間」を過ごせるようになった。また、相乗効果で、病気のコンプレックスがとれ、病気を隠さなくなった。自分にOKサインがでた。
難病は辛い事実であるが、それを受け入れることで、「本当の人生」が始まる。病気以外にも「大切なもの」「楽しい事」がいっぱいあり、そのことに目を向けて生きていたい。
そのためには、病気を自分の中で、気持ちを立ち位置を決めておいた方が良いのかもしれない。僕は「神さまからの贈り物」と捉えている。みんな、おギャーと生まれて人生が始まる。その時点で神さまが「あなたは17歳で難病になる」「あなたは、初めから足が不自由だ」「あなたは大金持ちに生まれて一生裕福だ」など、努力と関係ない部分で、みんな運命づけられていると考えている。そのどうしようのない部分は素直に受け入れて、前に進み、病気にとらわれない人生を歩みたいし、IBD患者の多くの方が、普通の道、自分の道を歩んでこられている。